下道 勝(シタミチ マサル)SPIRIT
プロフィールページにも書きましたが、私は「保険屋」でありプランナーです。
保険屋としての私
私は24歳の時、バイクの事故で20メートル以上飛ばされ、左半身の大半の骨を折り、左腕においては、顔の下にある、鎖骨の前に左腕がぶら下がっている状態でした。事故相手は某タクシー会社。
仕事を10ヶ月間休職する事になり、その間、「事故処理係」と壮絶なバトルを繰り返しました。こんな悔しい思いをするんだと知りました。せめて、自分の知り合いが同じ目に合わない様に
「俺が保険屋になる」
「俺に保険屋やらせろ」
と志願し決心した時でした。
気持ちだけで飛び込んだ保険業界は、一筋縄で生きていける世界ではありませんでした。保険のビジネスモデルがどうとか、収入がどうなるかとか、正直興味もあまり沸かないというか、よく分からないまま保険業界に飛び込んだのです。「成りたい自分になれる」と言われても、そこまで「成りたい自分」のイメージもない。気持ちのどこかで「何言ってんだよ」「大丈夫だよ」と思ってました。
初期補給24ヶ月間。3ヶ月に一度の査定制(タップ基準)。25ヶ月目からのフルコミッション性(完全歩合給)。仕事の事前説明を受け理解して、「俺はやれると天狗に」なっていた頃。
初期2年間の伸びない成績、売れない保険
保険という言葉だけで
「嫌われる感覚」
「遠ざけられる感覚」
「保険?いいよ、もう入ってっから」
「あぁ・・検討するよ」
初めの頃は例外なく知り合いを周り、先輩後輩を一巡し、そのうち行き先が無くなってきた頃、苦し紛れに「押売り」の様な営業をしたり、「どうせ断られるだろう」と保険の話しをする勇気も無くしたり、消極的で消耗戦の様な日々。財布には小銭数枚しか入っていない生活になり、少しづつ借金が増えていきました。
金がない。
借金でもしなければバスに乗れない。電車にも乗れない。飯すら食う金もない生活。生活と営業活動の為に借金をし、その借金は増え続けました。
サラ金から借りたお金も500万円を超え、借金取りに追われる日々を送りました。
なぜあの頃、仕事を辞めなかったんだろう?と今でも思います。仕事を辞めて、他の仕事につき、少しずつでも借金返済をする道もあったはず。
あの頃
「辞めていれば」
「逃げていれば」
きっと楽になったんだろう。
借金返済の為に仕事をするという生活は、楽しくはなくても、気持ちは楽だったんだろう。けれど私は、「辞められなかった」のではなく
バカだからか「辞めなかった」のです。
その頃、私にも少しだけ大切なお客様がいました。私を信じてくださったお客様に、「辞めてしまえば」私から裏切る事、私から逃げる事になる事が、本当に嫌だったのです。
全ては本当に苦しい時に出会ったひとりの美容師さんでした
成績が上がらない、上司に問い詰められる、借金取りに追われる日々の中で、私に残されたのは「暇な時間」だけでした。とあるきっかけで知り合った美容師さんの今を聞かせていただき、「暇な時間」だけは誰よりもあった私ができる事は、自らその美容師さんに代わって「融資の事や助成金の事など」を調べて、時折連絡をとって話しに行ったりしていました。
暇人の下道は「必要とされている風」な感覚を勝手に感じて、その美容師さんに会いに行きました。どうにか繋がりを作り「保険を売りたくて」やっていたわけではありません。
その頃は既に「戦意喪失状態」でしたから。
その美容師さんが望んでいたかどうかも分かりませんが「暇な時間はあった」ので、いつからか足しげく会いに行きました。その美容師さんがこんな言葉をくれました。
「したみっちゃん、俺の為に何でそんなにやってくれるの?」
もちろん「暇だったから」とは言えません。その美容師さんは続けて私に言いました。「もしよかったらさー、美容室オーナーが集まる勉強会みたいのがあるから、そこで今回調べた事、融資の事とか助成金の事とかを皆に話してもらえない?」数日後、10名程だったでしょうか、美容室オーナーの会に参加させていただき、皆様の前で「助成金」の事や「融資」についてお話させていただきました。
当時ソニー生命の社章を胸にしながら、保険の話をする勇気もなく(きっと断られるだろう)、名刺交換させていただいた美容室オーナーのお店を1軒1軒「ありがとうございました」と挨拶に伺い、数名の方とは個別に会う機会までいただき、閉店後の20時や21時から深夜になるまで、貴重なお時間を共にさせていただきました。
「したみっちゃんさー、もっと美容業界の為に動いてよ」
その美容師さんから頂戴した言葉の先に「美容のディーラー紹介するよ」との話をもらいました。美容師さんから紹介いただいた美容ディーラーさんとお会いし、美容室オーナー会で話した事を伝えたところ、「今度うちの営業担当向けの勉強会で話をして欲しい」と言うのです。同じ様に美容ディーラー営業担当の方々にお話をしました。するとその場で営業マンから「今度一緒に来てもらえませんか?」の声がいくつも掛かったのです。
この頃からか、保険は売れないけど
「スケジュールが勝手に埋まる営業マン」
になっていったのだと思います。行く先々で美容室に関わる助成金や融資の話を中心に、多くの方々にお会いさせていただき、その中からこんな言葉をいただける様になったのです。
「したみっちゃん、保険屋なんだから本当は保険の話ししたいんじゃないの?」
「いいよ保険の話しても」
私は内心「え?」と思いました。
美容師さんから、わざわざ私を気遣ってか?「保険の話しをしていいよって」その言葉が少し不思議な感じで、帰り道にようやく嬉しさがこみ上げてきました。こうして少しづつですが、美容師さんとお会いし保険契約をお預かりさせていただく事で私の成長に繋がりました。
もしかしたら「お付き合い」で加入してくださった方もいると思います。しっかりと保険の本質や必要性が伝わっていたか分かりません。なんせ、保険の話をするにも「ブランク」がありましたから(笑)
私が今もこうして美容業界を専門的に動いている理由は、この様な歴史背景があります。
27歳の頃から、「知恵熱」が出る程勉強しました
そして「生命保険協会認定ファイナンシャルプランナー(トータル・ライフ・コンサルタント)」になりました。
私は美容業界のお陰で、保険業界で称えられるMDRT(全世界トップ6%成績基準会員)として、17回以上の入賞レベルでの成績を収め続ける事ができました。(現在も継続中です)
MDRT:https://www.mdrt.jp
私は、美容業界に助けられたと思ってます。お陰さまで、莫大なサラ金からの借金も返済できました。
生活苦、仕事苦から、
「必要とされる仕事の楽しさ」
「求められる仕事の充実」を教わったのが、
美容師さん達からであり、その恩返しをし、仁義を通す事が私にできる事だと思い込んだのです。だから、美容師さんが仕事に専念できる様に、私が美容師さんの代わりに美容業界の専門知識を必要に応じて身につけ、さまざまな方々とお会いし、できる限りの知識を吸収し、分からない事は徹底的に教わり、今があります。
美容業界の為に、必要としてくださる方、頼ってくださる方、求めている方がいる限り、私ができる事をしていきたいのです。